ジモ納豆、ジモ豆腐

新年も1ヶ月位が過ぎようとしていて、節分、立春も間近です。
節分の豆に触発されたわけでもありませんが今回は大豆製品を話題としました。
皆さんは朝食の納豆はお好きですか?ひそかに、納豆に一家言ある人は多いのではないかと思います。
日本人は、いずれも大豆製品である豆腐や油揚げ入りの味噌汁とか、納豆に醤油をかけてとか、つくづく大豆が好きな民族だなあと思います。
そのような一家言ある諸兄方、特に、当地出身ではない先生方の中には、昔初めて当地の納豆を食べた時に、軽いカルチャーショックを覚えた方も少なくないのではないかと推測するのです。



1枚目の写真は、黒石納豆の丸とひきわりです。
昔は弘前市内にもパール納豆とか弘前納豆などのメーカーがありました。
私が思うに、当地の納豆は大粒で、発酵に日にちをかけていない“新鮮な”納豆です。
水戸納豆のような発酵が進んだ黒ずんだ小粒の豆、あめ色の糸、ではない、アンモニア臭の少ない“煮豆のような”納豆です。
好き嫌いはあるでしょうが、昔からの地元風の納豆が少なくなったのは、ちょっと残念です。



2枚目の写真は、地元のかくみつ食品の豆腐と油揚げです。
パッケージの右上の、おどけたおばさんのマークが目印です。豆腐屋さんもまだローカルでがんばっているところがあります。以前に新寺町に「水豆花」という豆腐料理屋さんがありましたが、このお店の場所は、移転する前のかくみつさんの工場があった所です。そういえば、昔「小野寺豆富店」という豆腐屋さんもありましたね。小野寺さんの豆腐は、「豆富」と書いてありました。

職人の店

先月は、比較的新しく出来た店の話でしたが、今月は弘前らしさを感じるような、古いユニークなお店の話です。
弘前市内を歩いていると、他の街では見かけないような“職人”を感じるようなレトロな店に出会うことがあります。
昔は大学病院の周りにもそのような店がずいぶんありましたが、今回それを思い出して回ってみたところ、閉店していたところが多くありました。
そのようなお店の筆頭は、住吉入口(弘前中央病院の近く)にあった、「すりばん」屋さんでしょう。



1枚目の写真は、左側がそのすりばん屋さんの現在です。
すりばんは、りんごの木箱にりんごの品種名や屋号を刷り込むために、金属板に文字などを型抜きしたものです。
昔は壁一面に商品見本が飾ってありましたが、今はこの程度で、昔の面影を少しだけ残しています。

写真右側は、大学病院前を城西方向に行ったところにある「投網」屋さんです。投網の専門店があるというのは、街としてユニークだと思いませんか?(このお店も閉店セールのビラが貼ってあり、残念です。)
このほかにも、覚仙町には昔、樽を作っているお店がありましたし、大阪屋さんの向かい辺りには革加工品の道具屋さんがありましたね。掛け軸などを作ったり直したりする表具屋さんは、まだやっているところがあります。



2枚目の写真、左側は桶屋町にある竹材屋さんです。
普段は車庫らしい所にたくさんの孟宗竹が立てかけられていますが、この時期は門松が並べられてありました。
写真右側は、茂森新町にある野鍛冶屋さんです。煙突がなんともユニークですが、新年には鍛冶屋の仕事始めも絵になりますね。
新年も良い年でありますように。

ファストフード店

私はたまに文京キャンパスの近くの「すき家中野店」を利用するのですが、サークルの帰りとおぼしき大学生の集団でにぎわっている場面によく出くわします。わいわいがやがや楽しそうで、ファストフード店は良きたまり場だったなあと、昔を思い出した次第です。ということで、今月はファストフード店の思い出です。


1枚目の写真は、左側が市内城東にある吉野家、右側が大町にあるすき家、両牛丼店です。牛丼店に限らず、青森県は全国チェーンのファストフード店の出店が遅い傾向があって、県外出身者は当地に来て「田舎に来た」という思いを強く感じたのではないでしょうか。ハンバーガーのマクドナルドの出店も大分遅かったような気がします。



2枚目の写真は、先ほどの吉野家の向かいにあるケンタッキーフライドチキン(左)とモスバーガー(右)のお店です。場所はこことは違いますが、この両店の弘前市内への出店は前出の牛丼屋さんやマクドナルドよりは大分早かったように記憶します。私にとっては、学生の頃は代官町にあったモスバーガーをよく利用し、友人と解剖の話など長時間していた思い出があります(今にして思えば、周りのお客さんにとっては大分迷惑だったでしょうか)。皆さんはいかがだったでしょうか?

岩木川・ダム2題

先週1週間は、弘前城本丸石垣修復工事に伴うお城の移動“曳屋”ウィークと称して市内は盛り上がっておりました。
が、曳屋の陰に隠れて目立ちませんが、こちらも私にとっては感慨深い出来事で、静かに進行中です。
それは岩木川上流に作られた津軽ダムの湛水開始と、それに伴う目屋ダムの水没です。
今月(平成27年9月)末で目屋ダムは役目を終えるのだそうです。



1枚目の写真は、現在建設中の津軽ダム(白っぽい、大きな躯体)と、その内側に小さく見えているのが目屋ダム(茶色っぽい躯体)です。
皆さんは目屋ダムを訪れたことがあったでしょうか。
ダム湖は弘前市・津軽平野の水がめで「美山湖」と呼ばれていました。
津軽ダムに切り替わるとダム湖は「津軽白神湖」と変わるのだそうです。



2枚目の写真は、市内樋の口・弘前市浄水場の取水口付近、通称“ラバーダム”です。
このラバーダムが出来たのは昭和59年3月だそうで、それ以前は、ブルドーザーで川の土砂を寄せて作った簡易式のダムでした。
大雨の度に流されては作り直して、を繰り返していた記憶があります。
今はこのダムのおかげで、ダムに溜まった水に水鳥が集まり、その向こうに夕焼けの岩木山が見える、私のお気に入りの場所です。

大学病院の不思議

しばらく大学から離れた話題が多かったので、今月は大学病院・医学部の建物にまつわる思い出です。
今となっては“不思議”と感じることもないのでしょうが、ある年代以上の先生方には懐かしく感じてもらえるのではないでしょうか。それは、大学病院の正面玄関が3階だ(だった)、ということです。
私は学園町にある中学校に通っていましたが、毎年の健康診断は大学病院で行われていました。
その時は裏口から病院に入りましたが、地続きで入ったところが2階の放射線科で、ずいぶん驚きました。
その経験もあってか学生の頃には心の準備もできて、病院玄関で戸惑っている来棟者に自信を持って道案内できていたように思います。
その後、大学病院正面玄関のあるフロアの呼び方が3階から1階に変わったのは、外来診療棟が新しくなった頃からでしょうか?(私が医者になって外の病院に籍を置くようになってからのことで詳しくは覚えていません。皆さんも思い出してみてください。)



1枚目の写真は、病院正面玄関にある現在の大学病院の案内図です。
玄関のあるフロアが1階で、各病棟や各診療棟のフロアの階数は統一されています。
各棟が新しくなったので、古株の私には実感が湧きませんが、どの階にどの診療科がおさまっているか、ご存知でしたか?



2枚目の写真は、各棟の入り口に掲示してある各講座の案内図(左側:基礎校舎、右側:臨床研究棟。多少のピンボケはご容赦ください)です。
臨床研究棟の階数の呼び方も病院の方にあわせて変更になっていました。
昔は外科が7階、内科は6階でしたよね。それと、基礎にしても臨床にしても講座の呼び名がずいぶんと変わりましたね。
特に基礎の講座名がずいぶんと学問的になった気がします。

スイカ、焼きイカ、西海岸

夏といえば海。津軽の海といえばどこを思い出すでしょうか。
青森県は三方を海に囲まれていますが、弘前に住んでいて手近に行く海といえば、「西海岸」ではないでしょうか。
県外出身者は、西海岸といえばアメリカの西海岸を思い出すのでしょうが、津軽に住んだ者にとっての西海岸は、西郡鯵ヶ沢・深浦方面です。
学生時代にドライブがてら訪れたことのある方も多いのではないでしょうか。それと、西海岸の名物といえばスイカと焼きイカが挙げられると思います。



最初の写真は旧・森田村から鯵ヶ沢町にかけての街道沿いにあるスイカやメロンの直売所です。
旧・木造町方面では砂地を利用した「屏風山スイカ」が特産で、次第にメロンにも力を入れるようになりました。
街道沿いの直売所は、西海岸の海に向かう、あるいは海から帰る人たちでにぎわっています。



2枚目の写真は、鯵ヶ沢から深浦に向かう途中の通称「焼きイカ通り」です。
付近にバイパスが出来たことで昔ほどのにぎわいは無くなったように感じますが、今でも何件かの焼きイカ屋さんが並んでいます。みなさんは生干しの焼きイカ、食べたことありましたか?
ちなみに秋田犬「わさお」がいる焼きイカ屋さんは、鯵ヶ沢町の別の場所(七里長浜港入り口付近)にあります。



3枚目の写真は、今日のドライブの目的地、西海岸の名所、深浦町・千畳敷海岸・かぶと岩付近です。
西海岸の楽しみ方は、海水浴よりはこの辺での磯遊びでしょうかね。浜辺のお店でサザエの壷焼き、も良いですね。
(いつものごとく朝早い時間の撮影なので人影の少ない写真ばかりですが、日が高くなればもっとにぎわっていますよ)

軍都の面影

今年も当会の一大行事である総会・懇親会を無事終える事が出来、理事一同一段落です。会員の皆様、ご協力ありがとうございました。
ところで、総会の前に行われた新入生の歓迎会、及び総会にあわせて行われた編入生の歓迎会では、弘前大学医学部や当会をスライドで紹介しています。
その中で、「弘前はかつて東北第2の都市、軍都であった」といった紹介がありました。戦後70年に絡める訳でもありませんが、今回は軍都の面影を探してみました。



最初の写真は弘前市役所の隣にある、国指定登録有形文化財「旧第八師団長官舎」です。
今まではあまり目立たない建物でしたが、この建物を活用して今年4月22日からスターバックスコーヒー弘前公園前店がオープンしました。
おしゃれな雰囲気で、開店以来2ヶ月程たちましたが、今でもなかなかの入りのようです。



第八師団関連の大きな建物としては、御幸町にある旧弘前偕行社(国重要文化財)があげられると思います。
この弘前偕行社と言うのは、陸軍第八師団の親睦・厚生のための組織だったのだそうです。
現在は弘前厚生学院記念館として使われています。
2枚目の写真はその偕行社の建物を載せようと思ったのですが、残念ながら平成29年6月30日まで保存修理工事中とのことで、庭園の雰囲気だけお楽しみください。(写真右手の桜の木の後ろに建物があるのですが白いシートに覆われて、見えません)。
その他、以前にレンガ造の建物の回で紹介した覆馬場も軍関係の建物ですね。
弘前は軍都であった割には、戦争の影はあまり感じない街だと思いますが、いかがでしょうか。
今後もずーとコーヒーの香りが似合う街であり続けてほしいと思います。

青森駅周辺


青森市内に出かける用事があり、今月のテーマは青森駅周辺としてみました。
弘前大学は国立大学の医学部の中でも県庁所在地にないという珍しい存在ですが、県庁所在地である青森市は弘前市よりも人口が多く、交通の要衝でもある(あった?)ので皆さんも少なからず立ち寄った思い出があると思います。
その要衝としての青森駅を思い出してみましょう。



最初の写真は青森駅です。撮影したのが午前中の早い時間帯だったせいもあってか、人通りは少なめです。
今でも青森市内で懇親会付きの会合があれば青森駅を利用することは多いですが、東北新幹線・新青森駅の開業や
自動車の利用が増えたことなどをきっかけに、昔程のにぎわいはなくなったように思います。
駅前の再開発の計画も宙に浮きかけているようですし・・・。




2枚目の写真は、青森駅からちょっとだけ北側に歩いた所にある、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸です。
青函連絡船からバトンタッチした青函トンネルの開業は昭和63年3月ですので、連絡船を利用したことのある
先生方は今では大分ベテランの先生方ですよね。私も少しだけ記憶がありますが、汽車を降りてから長いホーム
を歩いて連絡船の乗り場まで、風情がありましたよね。
ところで来年3月にはいよいよ北海道新幹線が開通しますよ。この辺の風景はどう変わるのでしょうか?

サークル活動の思い出

4月7日、入学式及び新入生歓迎会の1日は、各サークルの勧誘の1日でもありました。学生の頃を振り返って、皆さんにとってサークル活動は学生生活の何割を占めていたでしょうか。2分の1以上?3分の1?それより少ないにしても、現在の自分のありように少なからぬ影響を与えていたと、感じているのではないでしょうか。その学生生活の偉大なる一部であるサークル活動のきっかけとなる、勧誘の1日を追ってみました。





この2枚の写真は入学式の時の弘前市民会館前の光景です。最初の写真の青い服の団体さんはソフトテニス部の皆さんだったと思います。次の写真は陸上競技部の皆さんです。ダンボール張りの看板を手に、がんばっています。



新入生歓迎会は鵬桜会と学友会の共催で行われ、第1部は歓迎会で、この中では各教授の歓迎の挨拶がありましたが、ほとんどの教授は担当するサークルの勧誘の話を織り込んだ挨拶をされていました。
3枚目の写真は第2部の歓迎パーティ(鵬桜会担当)でのひとコマです。会場後方の場所を写していますが、この場所は各サークルの勧誘員の待機場所です。パーティの後半から新入生の中に入って行き各サークルのPRを行っています(写真、柱の右側が新入生たちです)。ちなみに今年から学友会のメンバーである勧誘員にも夕食を用意しました。
この後、第3部は学友会が中心となってのサークル紹介の会へと移っていきました。例年深夜まで行われているようです。今年の新入生もすばらしい学生生活を送れますように!

穴ぼこと白線

ついにネタも尽きてきたかと思われるかもしれません、写真も今回は2枚ともさえないものですが、北国の人であればきっと春を感じてもらえる話題です。それは、雪が解ければ見えてくる道路の穴ぼこと白線です。



1枚目の写真は、私の自宅の近所の交差点です。昔、自動車にスパイクタイヤが認められていた頃はもっとひどかったですが、スタッドレスタイヤに切り替わった今でも道路の穴ぼこと消えかかった白線は春の風物詩だと思います。
路面上の「止まれ」の表示までがほとんど消えかかっています。車を運転する人であれば、この時期の路面のでこぼこも、春らしさを感じる不便さだと思います。



2枚目の写真は、和徳小学校の近くの交差点です。数日前に横断歩道の白線が新しく引き直されてていました。前の写真と比べて真新しく新鮮で、春らしいです。
今は学校周辺の白線引きが優先して行われているようです。穴ぼこの修繕もあちこちで行われています。
「てんぷら舗装」(衣をまぶすようだから?)なんて、言いましたっけ。いよいよ新年度です。


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